大濱信泉氏のあゆみ

大濱信泉(おおはまのぶもと)先生は、沖縄を代表する偉人で、早稲田大学の総長として活躍しました。

1891年、石垣島生まれ。1910年に沖縄師範学校に入学。在学中に学校のマドンナといわれる女学生から編み物をもらいそのお礼手紙が学校に知られ、男女交際を禁止している校則を理由に、退学処分を受ける。
東京へ出る決心を固め、家族(特に姉)の協力に助けられ、東京の郁文館中学に入学。その後猛烈に勉学に励み、早大高等予科を経て早稲田大学法学部を首席で卒業。
三井物産に入社するも後に弁護士を開業。相前後して1922年に講師として早大に戻り、助教授としてイギリス・フランス・ドイツに留学。1927年に帰国後、法学部教授となり手形法・海商法・イギリス法を講義した。そして、戦後の1954年に島田孝一の後を受けて総長に就任。
大学総長の実務を取り仕切る中で沖縄復帰運動にも関わり、1962年には茅誠司・大河内一男ら有志で「沖縄問題を話し合う会」を結成、1964年にはこれを沖縄問題解決促進協議会に発展させ代表委員となった。佐藤栄作首相の沖縄訪問の際には特別顧問となり、日米の政財界人や有識者・ジャーナリストを動員して「核抜き本土並み」の本土返還を実現させる背景作りを担った。
1965年4月に勲一等瑞宝章を、没後勲一等旭日桐花大綬章を受章。
「人の価値は、生まれた場所によって決まるものではない。いかに努力し、自分を磨くかによってきまるものである。」
これは、1976年にこの世を去った大濱信泉が後生に残した言葉である。

大濱信泉年表

   西暦/和暦    年齢 出来事
1891 明治24.10.05 0 沖縄県石垣島登野城の大浜信烈の長男として生まれる
1898 明治31.04 6 大川尋常小学校入学
1910 明治43 18 沖縄県立師範学校入学
1914 大正03.04 22 早稲田大学高等予科入学
1918 大正07.07 26 同大学法学部を首席で卒業
1919 大正08.12 27 弁護士試験に合格
1921 大正10.04 29 弁護士開業、原嘉道事務所で修行
1922 大正11.04 31 早稲田大学法学部長寺尾元彦氏の媒酌により山内熊司・テル夫妻の長女・英子と結婚
1925 大正14.05 33 英、仏、独留学
1927 昭和02.11 36 早稲田大学教授就任
1945 昭和20.10 53 同大学同法学部長就任、同人文科学研究所理事就任
1946 昭和21.07 54 早稲田大学理事就任
1949 昭和24.01 57 日本学術会議会員 3期選任
1954 昭和29.09 62 第7代早稲田大学総長・同理事長・同空手部名誉部長
1955 昭和30.01 63 35年ぶりに石垣島に帰郷、大歓迎をうける
1955 昭和30.04 63 日本私立大学連盟会長
1958 昭和33.11 67 全国大学教授連合会会長就任
1962 昭和37.05 70 早稲田大学名誉教授
1962 昭和37.11 71 藍綬褒章授章
1965 昭和40.08 73 佐藤首相の沖縄初訪問に特別顧問として同行
1965 昭和40.10.12 73 韓国訪問
漢陽大学で名誉法学博士号をうける
1965 昭和40.11 74 ユニバーシアード東京大会組織委員会会長に就任
1971 昭和46.07 79 「私の沖縄戦後史」を出版
1972 昭和47.02.01 80 沖縄国際海洋博覧会協会会長就任
1972 昭和47.04 80 沖縄復帰等の功績により勲一等旭日大綬章受賞
1975 昭和50.07.19 83 沖縄国際海洋博覧会、沖縄本部で開会式典、同協会会長として挨拶
1976 昭和51.01.19 84 沖縄国際海洋博覧会183日間の日程を無事終了、閉会式で挨拶
1976 昭和51.02.13 84 治療の甲斐なく悪性リンパ腫・肺炎のため死去
1976 昭和51.02.13 84 死去により勲一等旭日桐花大綬章を追贈される